2023/01/22

この世界の全ての地を解放した神。
すると神を封じ、この世界を壊滅させた諸悪の根源サタンの住まうデスヘイムが姿を現す。
いよいよ最後の戦いだ。
ここはいわゆるボスラッシュであり、これまで倒してきた各地域の真ボス――邪神たちと連続して戦うこととなる。
各ボスを倒してもライフは全回復しないので、いのちのみなもとと呼ばれるライフ数アップアイテムが出来るだけ欲しい。
加えて、これまで大体星屑の魔法でごり押しできたが、各ボスを倒してもMPが回復するわけでもないので使い道が限られる。
お勧めはファラオとカーリア(邪教のボス)だろうか。それ以外はひたすらライフにものを言わせて切り刻んでいくべし。
ボスをすべて倒すと…

ラスボス・サタンが現れる。
とてつもなくヤバそうな姿だが、そう強くない。
こちらの剣が遠距離攻撃できるようになるので、ダメージを非常に与えられやすいからだ。
敵弾は一定の軌道で動くのでよく見て避け、誘導してくるイガイガは斬りつけて対処。
1度変身するが相変わらず弱いので気にしなくてよい。
多分一番最初の赤いブリーフのミノタウロスより弱い。どうしようもない。
こうしてサタンを打ち倒し、この世に再び光を取り戻した神。
天使と共に蘇った大地を見て回る。

それぞれの地には特徴を持ったキャラクターが居た。
ある者は自分の死の運命を受け入れ予知能力で世に尽くした。
ある者は生贄に自ら名乗り出て平和の礎になろうとした。
人間たちは大抵神様を頼るだけの弱くちっぽけな存在であったが、その中にも確実に勇者はいた。
この世界を生き抜く力や文明と共に、精神も人間たちは少しずつ育んできたのだ。
そして、いつも人間たちが神に願い事をしていた神殿は今――

寂として声なし。
文明が発達し、人間が自分たちの足で歩み始めた今、神はもう必要ではなくなったのだ。
一抹の寂しさを覚えつつも、神と言うものは普段は忘れられた存在であるくらいが良いのであろう。
再び人類が神を必要とするその日まで、神はこの地を遠く離れていくのであった…
アクトレイザー -完-
■感想ラストはなかなかに良かった。
初期スーファミの舌足らずな表現力だからこそ入り込める空想の余地が、いい具合に締めてくれたと思う。
このゲームはスーファミ最初期に発売されたもので、音楽はともかくゲーム性もレスポンスもグラフィックも色々過渡期であった。
特にアクション部分の操作性の悪さ、意地悪なトラップの多さは言い訳出来ない。
ラスタンサーガ(タイトーのアクションゲーム)でももう少しマシな気がする。
町造りもそんなに面白みがあるわけでもない。
作業的に湧き出る魔物を倒しつつ、地形に沿った奇跡を使いつつ、魔法陣を封じることで起るイベントを作業的にこなしていく。
色々な奇跡の使い方で多様な町づくりができるようにしても良かったと思うが、わかり易さを選んだということだろうか。
この辺はメインターゲットを小学生にしようか中学生以上にしようかの迷いが見られ、ボンヤリした味になっている。
ゲームとしてみると、全体的にはまだまだな面が否めないものであった。
しかしながら、このゲームの知名度は意外と高い。
天空から地上へ神様が突入するシーンは回転拡大縮小で表現されるのだが、当時そのシーンはやたらCMに流れていた。
このCMに衝撃を受けたちびっこは多かろう。
この当時はまだまだゲーセンのゲームがゲームの最高峰と言われていた時代であり、こじらせていた自分もそう思っていた。
そんな中これほどの性能を持つ家庭用機が出たことは、当時のこじらせたちびっ子たちをかなりザワつかせた。
当時のベーマガでは、子供のおもちゃにすぎない家庭用機にそんな機能など不要だと言う長文の読者投稿もされていた。
この感覚は今の価値観ではわからないだろう。
ひょっとして家庭用機がゲーセンのゲームを超える日がいつか来るのか?いやそんなはずはない。
ゲーセンのゲームはいつまでも最高峰であるべきだと、ゲーセン少年に不安や嫉妬、憧れや焦燥などを抱かせた。
そんな少年たちの多感な青春期にリリースされたからこそ、ここまでの知名度を出せたのかもしれない。
ゲームとしては及第点ギリギリではあるのだが、時代性と言う意味では他の追随を許さない凄味のあったゲームなのは確かだ。