2022/07/02

本日のプレイは誠に調子よく、全てのステージを回っても二人くらいしか死なず。
このゲームはやたらエクステンドするので、最終ステージの大和8(上の写真のステージ)に入った時点で我王が6人くらいいる。
これは余裕だろう!ということでいよいよ最後の戦いだ。
ここは大和ステージのループ外にあり、一定の所からワープしないと入れない。
これまでの大和ステージが原作準拠の奈良時代っぽいのに対し、このステージだけは地球創生か地球滅亡か。
文明のかけらも何もない。
ひょっとして火の鳥未来編の一部を見てるのだろうか。
原作火の鳥は猿田(我王の前世・後世)を億年単位でいじめるくらい宇宙一サドな鳥なので、この位のことはするだろう。
しかしここは他の大和時代と同様、ホーホー鳴くフクロウ?ややたらアグレッシブなキツネや投身自殺しまくる人間は居る。
彼らの正体は大和時代のそれと同様でなく、末世でも生きられるムーピーなのかもしれない。
原作を読んだことのない人にはさっぱりのテキストである。

そんなわけでラスト。
上から降ってくる岩が足場を壊すので、壊し尽くされる前に鬼瓦を作ってひょいひょい飛び渡る。
これと同じ形式の所は他の時代にもあったのだが、今回はラスト補正なのかたまたま運が悪いのか、非常に難しい。
よりにもよって足元に作った鬼瓦の所に岩が落ちてくるのだ。
その為なんと、ここで6人中5人の我王が死亡。
さすが火の鳥、サドである。
だが最後に残った我王が遂に…

最後の欠片を取り戻し、版画を完成させる。
完成したその姿はまさに火の鳥。
その火の鳥は実体化したのか、あるいは版画が完成したことで太陽で眠っていた本物の火の鳥を呼び起こしたのか…

巨大な火球から火の鳥が飛び出て、遠くへ去っていき、やがて消える。
時を越えたのだろうか。
火の鳥に空間や時間の概念は無い。
時を越えたとしても、またもやその世界で我王に連なる血統の鼻でか男をいじめまくっているのであろう。
誠にどうしようもない鳥である。
火の鳥 鳳凰編 -完-
■感想小学生時代に駅前のスーパーでクリアしたこのゲーム。
おっさんになった今でもクリアできるかと思ったが、さすが昔取った杵柄。何とかクリアできた。
いま改めてやり直してみると、下手くそは下手くそなりに慎重に進めばそれなりに進める。
上手くなればなるほど、足元にぱぱぱっと足場を作り、軽やかに進むことができる。
穴に落ちそうになっても、反射神経次第で足場を作って生存も出来る。
どんなプレイスタイルにも対応した、非常に奥の深いゲームデザインではないだろうか。
思い出補正大きすぎる気もするが。
この当時のファミコンゲームは火の鳥ほど甘くはない。
ファミコン版オバケのQ太郎なんぞは高射砲の如き犬の遠吠えで1面をクリアするのも至難の業だ。
それが当たり前だったのだが、このゲームが出た1987年はイースはじめ、難しさから優しさに徐々に移行する時代だった。
そんな時代を先取りした所はやはりコナミ、老舗の貫禄と言うべきか。時代の潮流ををよくわかっていると言えよう。
と思ったらそのあとに出た魔城伝説Ⅱ大魔司教ガリウスはちびっ子が裸足で逃げ出す難易度だったので気のせいだな。
ちなみに冒頭で書いたように、小学生時代の私は自転車で10キロ離れた駅前のスーパーでこのゲームをしていた。
が、やがてそのスーパーにも行かなくなった。
別に大人になったからと言うわけでなく、この火の鳥の後に入ったゲームが…
バツ&テリーだったからだ。
クソゲーと言う言葉がまだポピュラーではなかったこの時代。
ただひたすら得体の知れない不気味すぎるこのゲームを前にして、平常心を保つことは困難である。
腰を抜かしながら家まで逃げ帰ったのであった。
機会があったらこのゲームの日記もそのうちやりた…無理。